• 国史跡
  • 年中無休
  • 所要60~90分
  • 自由見学

佐渡金山コース

江戸時代の採掘坑道で国史跡「宗太夫坑」と明治以降の機械掘坑道で国重要文化財・国史跡「道遊坑」を巡ります。佐渡金山のシンボル「「道遊の割戸」も間近に見学する事ができます。

 

宗太夫坑

国史跡「宗太夫坑」は江戸時代の初期に開削された手掘り坑道です。佐渡金山最大の鉱脈「青盤脈」の西端に当り、坑道は大型で、江戸時代の採掘の特徴である「将棋の駒形」の坑道、斜坑、小型の探索坑道、空気を入れる為の煙穴などが数多く残されています。

 

画像に関連した400年以上前の手掘り坑道に、「佐渡金山絵巻」に描かれている採掘作業の様子を忠実に再現しています。

「山師」と呼ばれる採掘のエキスパート達は、採掘作業を細分化して効率よく金銀採掘をしていました。

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水上輪

開山から90年足らずで、坑道は海水面以下までに達した為、「宗太夫坑」では常に排水作業が必要であり、水との闘いの連続であった。

水上輪と呼ばれる木製の機械を使い、排水作業を行った。

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採掘現場

採掘現場の様子。鏨(たがね)と槌(つち)と呼ばれる道具で固い岩盤を掘り進んだ。採掘作業を行うのは金穿大工(かなほりだいく)と呼ばれる技術者で、金生産の最前線を担う花形のポジションであった。

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間切改(けんぎりあらため)

間切改(けんぎりあらため)の様子。坑道が発注した仕様通りに掘られているか、どれだけ掘り進んだか等の検査を受けている所。頭に付けているのが「てへん」と呼ばれる紙の「こより」を固く編んで作った安全帽で、役職の者だけに許されていた。

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やわらぎ

江戸時代から伝わる、金山独自の神事芸「やわらぎ」。山の神の心を「なごめ」、「やわらげる」と共に、硬い岩盤に「やわらぎ」を求めて祈る意味に由来しているといわれている。

 

道遊坑

国重要文化財・国史跡「道遊坑」は、明治32(1899)年に開削され、佐渡金山の近代化に大きく貢献した機械掘り坑道です。

坑道を含め、トロッコ、機械工場、粗砕場など多くの設備が操業当時の姿のままで残されています。

また、このコースは、道遊の割戸直下の採掘跡、道遊の割戸を間近に見るポイント、高任公園からの道遊の割戸の絶景ポイントと、佐渡金山のシンボルである「道遊の割戸」を存分に堪能することができます。

昭和7年には「道遊坑」はそれまで分かれていた2ヶ所の垂直竪坑を繋いだ事で、近代佐渡鉱山において最も重要な坑道となり、休山する平成元年まで活躍しました。

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坑道内

「道遊坑コース」は、明治維新以降日本近代化の中心的な役割を果たした佐渡鉱山の様子を産業遺産として残すことを基本コンセプトとして整備し、平成20年より一般に公開しています。

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道遊の割戸(直下)

道遊の割戸は、上部は江戸時代初期、下部は明治、大正、昭和の時代に大規模な採掘が行われました。写真に見える空洞部分も採掘跡ですが、この空洞の真下に坑道があり、鉱石は道遊坑からトロッコで外に運搬されていました。

採掘跡は垂直に近い絶壁をなしており、このような露天掘りは、世界でも類を見ません。

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道遊の割戸(遠景)

佐渡金山のシンボル国指定史跡「道遊の割戸」は地表から「道遊脈」に沿って掘られたV字型の採掘跡。「道遊脈」は1601年(慶弔6年)相川金銀山で最初に発見された鉱脈の一つで、上部は江戸時代に下部は明治から平成元年まで採掘が続けられた。

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機械工場

高任立坑に隣接する国重要文化財「機械工場」は昭和10年代に建設された建物で。展示されている機械類は実際に平成元年まで使用されており、現在でも使用可能なものが残されています。

ご注意

※年中無休 自由見学 所要時間60~90分

※坑道内は10度前後です。お召し物にはご注意ください。

※宗太夫坑は階段が190段ございます(手摺有り)。

※坑道内は暗くて狭いので、ゆっくりお進みください。

※宗太夫坑は車椅子の方は見学できません。

※アイランド・ミラージュ体験時間中、道遊坑ではプロジェクションマッピングが点灯します。

※道遊坑最後に階段が30段ほどございますので、車椅子の方は途中で折り返し、入場口までお帰り頂きます。

※「道遊の割戸」の間近まで行ける通路は16時半(冬季16時)に閉まります。

よくあるご質問

最終入場時間を教えてください。

16:00(4-10月) 15:30(11-3月)です。

何時まで見学できますか?

8:00~17:30(4-10月) 8:30~17:00(11-3月)です。

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