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  • 所要約70分
  • 4月~11月催行
  • 要予約

ガイド付 産業遺産ツアー

1601年の開山以来388年間も金銀鉱石の採掘と生産が行われた、世界でも稀有な鉱山。

江戸時代には佐渡奉行所が置かれ、小判も製造。当時5万人とも言われる一大鉱山町が形成され、繁栄しました。

このツアーでは、金銀生産に関連する一連の産業遺産(採掘、破砕、選鉱、製錬、港湾)と、当時の風情が色濃く残る街並み(国指定重要文化財)を、ガイドがご案内します。

きっと佐渡金山400年の壮大な歴史ロマンとスケールの大きさに圧倒されることでしょう。

 

佐渡金山では、1601年の開山以来388年間金鉱石の採掘、そして金銀の生産が行われた、世界でも稀有な鉱山でした。

また、江戸時代には佐渡奉行所が置かれ、小判も製造され、当時5万人とも言われる一大鉱山町が形成され繁栄しました。

地図は昭和7年に描かれた佐渡金山。基本的な施設は今もそのまま残っています。

01

青盤脈採掘跡

東の「青盤(あおばん)間歩(まぶ)」より西の「割間歩(われまぶ)」まで続く佐渡金山最大の鉱脈(こうみゃく)で、その長さは2,100メートルに達します。また、平均の脈幅(みゃくはば)は平均で6メートル、最大で30メートルと記録されています。

02

道遊の割戸(裏側)

山の頂上がV字型にカットされた景観を示すのが、佐渡金山のシンボル「道遊の割戸(わりと)」の裏側です。ここでは道遊脈の露天掘採掘跡と青盤脈の露天掘り採掘跡が連続しており、大規模な採掘跡になっています。

03

搗鉱場跡

搗鉱とは鉱石の粉砕を意味します。「搗鉱場」では鉄製の碓と杵を使って鉱石を粉砕し、水銀を使ってアマルガムとして回収する工場でした。

04

粗砕場・貯鉱舎・分析所

破砕場では坑内から搬出された鉱石をが建屋内のクラッシャーで直径15センチメートル以下に砕かれていました。粗砕場で処理された鉱石を貯蔵するために建設されたのが貯鉱舎です。

分析所では坑内では鉱脈品位の確認、坑外では選鉱、製錬の各工程で品位確認、最終製品の品位や水分量の確認などが行われていました。

05

京町通り

 

06

時鐘楼

 

07

佐渡奉行所

【奉行所】車窓にてご説明。
入場をご希望の場合は別途入場料がかかります。

08

明治中期の宮内省御料局時代の鉱山事務所

佐渡鉱山が皇室財産になった明治22年(1889年)以降に建てられた鉱山事務所です。昭和28年(1953年)の縮小に伴い当時の相川町へ移譲され、現在は相川郷土博物館として使用されています。

09

不思議な形をしたキューポラ跡

 

10

シックナー跡

工業用水の再利用を目的とした、水と泥を分離するための設備がこのシックナーです。通常シックナーは濃縮を目的として使われますが、このシックナーは水を再利用するために建設されたものです。

11

北沢選鉱場跡

浮遊選鉱法は、破砕した鉱石から人の手によって捨石を取り除き、更に粉砕した後、発砲剤の泡に硫化鉱物を付けて浮かせて鉱物を濃縮する手法です。北沢浮遊選鉱場は月間50,000㌧以上の処理能力を有し、当時は東洋一と謳われていました。

12

大間港

大間港は相川に金銀山の開発が始まった江戸時代から米や大豆などの陸揚げに利用されていました。

このように近代的な港は1886年(明治19年)北沢製錬所の敷地造成に関連し、切り取られた土砂を架空索道で運搬し埋め立てを行い、1891年(明治24)に「たたき工法」で建設されました。

ご注意

※団体(10名様以上)のみ。

※お客様のバスに当社ガイドが乗り込んでご案内します。

※行程にはバスを下車し、歩いて見学する箇所がございます。

※見学箇所に国史跡が含まれる為、補修保全工事が行われると、急遽ツアー行程を変更する場合がございます。

よくあるご質問

坑道見学は含まれますか?

いいえ。

「宗太夫坑」「道遊坑」など他の坑道見学は含まれません。

時間がないので、北沢浮遊選鉱場跡だけのガイドはできませんか?

産業遺産ツアーの主要見学箇所「北沢浮遊選鉱場跡」のみのガイドもお受けしております。(@500円当日割引適用外)

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