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佐渡金山について

「史跡 佐渡金山」には、江戸から明治、そして平成の操業停止に至るまでの長い歴史を物語る数々の遺構が、豊かな自然の中に溶け込んで至るところに残されています。

そして、広大な敷地に点在する坑道跡、採掘施設、製錬施設など、そのほとんどが国の重要文化財、史跡、近代化産業遺産に指定されています。

400年に亘る先人たちの営み、鉱山技術や生産システムの変遷のほぼすべてを見ることができる、世界でも例のない大変貴重な遺産です。

この「史跡 佐渡金山」を含む「佐渡島の金山」は2022年に日本の世界文化遺産候補としてユネスコへ推薦され、現在は本登録に向けて準備が進んでいます。

 

佐渡金山400年の歴史

佐渡金山は、1601年に山師3人により開山されたと伝えられています。

1603年には徳川幕府直轄の天領として佐渡奉行所が置かれ、小判の製造も行われ江戸幕府の財政を支えました。

1869(明治2)年に官営佐渡鉱山となり、西洋人技術者を招いて機械化・近代化が図られました。

1889(明治22)年には、宮内省御料局管轄の皇室財産となり、模範鉱山として日本産業の近代化に貢献しました。

その後1896(明治29)年に当時の三菱合資会社に払い下げられ、日本最大の金銀山として拡大発展を遂げました。

平成元年3月(1989年)残念ながら、資源枯渇のため操業を休止し、400年近くに及ぶ長い歴史の幕を閉じました。

 
 
 

日本最大の金銀山

佐渡金山の金鉱脈は、東西3,000m、南北600m、深さ800mに広がっていました。

この金脈を追い求めて、江戸から平成まで388年間に産出した金は78トン、銀2,330トンにのぼり、まさに日本最大の金銀山でした。

開削された坑道は、まるでアリの巣のように拡がり、総延長は何と約400km(佐渡~東京間)に達しています。

 

世界遺産候補

「史跡 佐渡金山」には、江戸から明治、そして平成の操業停止に至るまでの長い歴史を物語る数々の遺構が、豊かな自然の中に溶け込んで至るところに残されています。

そして、広大な敷地に点在する坑道跡、採掘施設、製錬施設など、そのほとんどが国の重要文化財、史跡、近代化産業遺産に指定されています。

400年に亘る先人たちの営み、鉱山技術や生産システムの変遷のほぼすべてを見ることができる、世界でも例のない大変貴重な遺産です。

2010年にはユネスコ世界遺産暫定リストに記載され、現在本登録に向けて準備が進んでいます。

 
 

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